『鉄道史学』30号に寄せて

老川 慶喜

鉄道史学会という小さな学会が産声をあげたのは1983年8月19日であった。この日、法政大学の市ヶ谷キャンパスで同学会の創立総会と第1回大会が開催されたのである。参加者は六八名であった。それから29年が経過し、同学会の機関誌『鉄道史学』30号が発刊された。鉄道史学会は創立29年なのに、『鉄道史学』が30号というのはおかしいようにも思われるが、2冊刊行された年もあり、また反対に1冊も刊行できなかった年もあったからである。
鉄道史学会の設立を働きかけたのは、原田勝正(和光大学)、青木栄一(東京学芸大学)、宇田正(追手門学院大学)、武知京三(近畿大学)、佐藤豊彦(交通博物館)の諸氏と私(関東学園大学)であった(所属はいずれも当時)。この6人が1983年3月に静岡市にある「盛松館」という旅館に一泊し、鉄道史学会の設立について協議をした。帰京後、その結果を野田正穂(法政大学)先生に報告すると、それでは創立総会はうちでやろうということになった。
実をいうと、私は当初鉄道史学会の設立には反対であった。年齢が一番若かったので、設立されれば事務局の仕事を引き受けなければならないと思っていたからである。しかし、私の願いもむなしく学会は設立されてしまい、私は総務担当理事として、その後十数年にわたって原田、野田、宇田、青木、小池滋(東京女子大学)、星野誉夫(武蔵大学)の六人の会長に仕えることになった。
鉄道史学会が他の学会と異なるのは、さまざまな専門分野の人が、研究対象が「鉄道」であるということだけを共通項として成り立っていることである。もちろん鉄道が主たる研究対象である必要はなく、実際には海運や自動車などを対象としていても鉄道に何らかの関心をもっていれば充分に会員資格はある。鉄道史学会では、これを「学際的」と称しているが、経済史、経営史、地理、文学、工学、さらにはいわゆる鉄道趣味の方まで、いろいろな研究者が集まっている。したがって、 研究会ではきわめてさまざまな意見や質問が飛び交い、他の学会ではみられないちょっとした緊張感がある。そうした学会の特徴は、『鉄道史学』にも反映され、同誌に掲載された論文も多様で、実に楽しいものであった。
学際性の一方で、「実証性」というのも鉄道史学会の特徴である。もともと鉄道史学会設立の動きは野田、原田、青木の諸先生と私で、日本経済評論社から『鉄道史資料』の刊行を進めていくなかから起こってきたものであった。そして、『鉄道史学』に掲載された論文には、詳細な実証研究がみられるようになった。鉄道史学会が発足してから、実証的な鉄道史研究が定着し、それまでの研究水準を大幅に引き上げたと、私は密かに自負している。
また、鉄道史学会には資料を大切にするという風土が備わり、鉄道資料や鉄道遺産の保存運動にもかかわってきた。とくに、国鉄の分割・民営化の際には鉄道資料の散逸を防ぐように、他の歴史系の学会と連携して国鉄などに働きかけた。
近年『鉄道史学』にも査読制度が取り入れられ、論文の質はかなり向上した。しかし、一方でやや経済史・経営史系の論文に偏る傾向が強くなったようにも思われる。もちろん論文の質を高めていくことはきわめて重要であるし、経済史や経営史の論文が増えること自体が悪いというわけではない。ただ、社会経済史学会や経営史学会などの大きな学会にはみられない「学際性」という鉄道史学会の特徴をさらに追及していくことも重要なのではないだろうか。その意味では、『鉄道史学』30号に「ポール・セザンヌの鉄道画題─「前近代」と「近代」の対比─」という論文が掲載されたのは大変喜ばしい。
振り返ってみると、つい昨日のことのようにも思われるが、30年という歳月はやはり長い。鉄道史学会の設立を働きかけた6人のなかで今なお現役なのは私だけであるが、その私も2年後には定年退職を迎える。ただありがたいことに、鉄道史学会には多くの若い優秀な研究者が集まっているので、同学会はさらに発展していくものと確信している。
 [おいかわ よしのぶ/立教大学経済学部教授]