『未来社会への道』刊行にあたって

中野 嘉彦

筆者は40年間の企業生活を終了した後、悠久たる日時をいかに過ごすかを考えた。結論として大学時代に残してきた課題を追求することにあてようと決意した。この間社会主義が崩壊した現実をみて、マルクスとはなんだったのか、という課題。もう一つは卒業論文で取り組んだ「株式会社が未来社会への通過点」としたマルクスの思想とはなんだったのかという課題。この二つの課題を勉学したくて京都大学大学院の門をたたいた。もう一度『資本論』を読み返し『経済学批判要綱』を改めて読み返すとマルクスの真意とは何だったかが理解できてきた。これを修士論文で取上げ、前著『マルクスの株式会社論と未来社会』(ナカニシヤ出版、2009年)でマルクスの意図したことを明らかにしたつもりである。前著では未来社会にはほとんど触れていない。しかし未来社会を語るほどの学識もない。そこでマルクスだけではなく、マルクスに影響を与えたアダム・スミスや、マルクスから学んだ シュンペーターなどの社会思想史上の賢人達からみた未来社会を書くことによって、マルクスの述べようとする未来社会とは何だったかを浮き彫りにして論述したかったのである。本著の発刊目的はそこにある。
マルクスの「株式会社が未来社会への通過点」の議論は経済学者のなかでほとんど等閑に付されてきた。その理由は貨幣も市場も擬制資本までも必要とする株式会社論とは、一見するとマルクス『資本論』の論旨とは矛盾するものと読まれて一蹴されてきたことが原因である。
筆者は大学を卒業してから家電会社に入社してそのほとんどを、経営労働者としての仕事に従事した。この経験を通じてマルクスが『経済学批判要綱』に書いた「社会的個体の発展」という論理を勉強してはじめて理解することができた。「社会的個体の発展」とはなにか。大工業にいたると株式会社制度を利用して株式会社化していくが、そうなると各労働者の仕事は部分労働となる。大きな変化とは「資本家の意図せざる結果」として、労働者が各自意欲的に、改善、工夫、発明、発見をするようになり仕事を楽しむようになる。トヨタ方式なる工夫も労働者グループの「改善」から生まれた。筆者も部下達の創意工夫によって随分助けられた。このような理解は実業経験者でしか理解できないのではないか。
マルクスの基本思想は人間が類的存在として、人類に貢献するアソシアシオンを形成する思想だ。そのアソシアシオンを株式会社によって達成しようとマルクスは思考した。株式会社という組織は誠に民主主義的なシステムである。資本家も株式を持たなければ剰余価値の分け前に参加できない。この民主主義は未来社会に通用するものであり、株式会社制度によって資本家と労働者との生産関係は崩壊する可能性が内在している。マルクスの理論を通じて社会主義を成立させた後継者たちの失敗の原因は、貨幣、商品、市場、資本を廃絶する思想と理解して社会主義革命を追行したことにある。これは見事に失敗に終わった。貨幣が諸悪の原因ではない、貨幣は流通手段として必要欠くべからざる人類が生んだ知恵である。この貨幣を資本に転化することによって起きる、人間労働の商品化で人間は抽象的人間となってしまう。資本を持つものが富み搾取される側が貧者となる、ここに貧富の格差が生じてしまう。人間が食べていくために賃金奴隷としての抽象的人間となってしまう。
本来は血も涙も喜びもある具体的人間でなければならない。そのためには資本主義というシステムをアソシアシオンのシステムに改変しなければならない。それには民主主義のシステムを内包する株式会社のシステムを民主主義化する以外にない。それはマルクス当時に思考した革命ではなく民主主義の手法によって改変する。この理論が理解されずに今日まできてしまった。
ケインズの述べるとおり、今日では貨幣が貨幣を増殖する仕組みを利用して、結果としてリーマンショクを生んだ、これを自由放任してはならない。アダム・スミスが命をかけて論述したように重商主義を放任してはならない。今日でも政府と資本家との癒着的重商主義が目立つ。これでは真面目に汗して働く気にはならないだろう。このようにマルクスを軸として社会思想史上の賢人達の論理に学ぶ未来社会論を今回の著書によって論述したかったのである。ご一読願いたい。
[なかの よしひこ/経済理論学会会員]