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  • PR誌『評論』189号:「男女雇用機会均等法」と北一輝の女性観

「男女雇用機会均等法」と北一輝の女性観

清水 元

「男女雇用機会均等法」が改正施行されてから早や四半世紀が過ぎようとしている。男女労働者の法の下での平等を定めたこの法律には当初から日本の伝統的家庭・家族観にそぐわぬ面があるという保守層からの反対意見が存在した。同法が目指す女性像は「良妻賢母」の理想からほど遠く、家族の絆をも引き裂きかねぬという危惧からである。しかも、この法律の施行後暫くして日本経済が長期低迷期に入ったこともあり、非正規雇用労働者の増加や所得格差の増大の責めをさえこの法律に帰する批判も決して少なくはない。
北一輝ならこの法律にどのように反応したであろうか、そんな埓もない空想を私は抑えることができない。『国家改造法案大綱』で「(女子は)男子ト共ニ自由ニシテ平等ナリ」と明記しているのだから、同法の基本理念に彼が反対であろうはずはない。しかしながら、この法律に彼が賛成しなかったことには全く疑問の余地はない。北は女性を、男性とは本質を異にする「家庭ノ光ニシテ人生ノ花」と見ており 、男性同様の労働に服すには、あまりに「優美繊弱」な心身を天によって与えられたと考えていた。北の男女同権論は、男女の「断じて同一の者に非らざる」本質的差異を前提としたうえで唱えられねばならぬものであった。「良妻賢母」を女性の天職とする点で、彼は今日の保守論客と同じ立場に立っており、当時の多くの社会主義者が要求した婦人参政権すら、「政治は人生の卑小な一部分」なるがゆえに、女性にはふさわしからぬものと見ていた。
「女性の本質」などという概念は、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とするフェミニズムにはタブーであろう。この新概念こそが、女性を家庭内へ囲い込み、世帯を維持する女性の労働を不生産的な「シャドウ・ワーク」(イリイチ)として疎外したものにほかならなかったからだ。だがここで、北をアンチ・フェミニストとしての父権的男性中心主義者と決め付けてしまうのは早計である。資本主義的産業社会の否定者であった北は、イリイチと決して違うことを語っていたわけではない。食を与え、衣を提供し、身の回りのものを整える、「生活の自立・自存の経済のために女性がなす基本的できわめて重要な貢献」を彼がいかに尊重していたかは、『改造法案』が家庭での女性の労働に対する夫や子供達の侮蔑的言動を「婦人人権ノ蹂躙」として科罰の対象としていることからもよく分かる。北にあっては、女性の労働は決して「産業的労働の再生産のために無報酬で徴用される」シャドウ・ワークではなかった。あまつさえ、家庭婦人は保母・小学教師に劣らぬ教育的労働さえも担う存在と見られていた。
北の女性観では、女性は男性とは次元を全く異にした原理の表象で、男性からは独立した一つの全体性であり、男性原理との協働によって人間性を基礎づけるものである。男女二つの全体性が収斂する場所は、若き日に北が恋の理想として描いた「釈尊とマリアの恋」が指し示す「慈悲(愛)」のほかにはない。人類がこの理想に近づくために、男女はともにまったく平等の選択権を持って、自由に恋し得なくてはならない。彼の男女同権論とは恋愛における自由平等論なのである。だからこそ彼は、女子が男子同様「恋愛を放縦に行う」新風潮としての「女学生の堕落」を、男女同権への進化の証しとして賛美せずにはおられなかった。
北のこのような女性観に基づく特異なフェミニズムは、彼の生涯に交錯した4人の女性と無縁のものではあるまい。女系家族・北家の大黒柱祖母ロク、死刑前日の北に「好きなことをして死んでいくお前は幸せだ」と言葉をかけたという母親リク、「目に一丁字もない」とされながらも、喉頭結核患者の痰を吸い取ることさえ厭わなかった母性的情愛の持ち主妻スズ、そして、一度限りの口づけで仲を引き裂かれてなお、壮年のとき婚家に訪ねて『聖書』を手渡したという初恋の人松永テル。機会があれば、これら4人の女性に焦点を当てて、北の女性観を書いてみたい。そのことにより彼の思想をより深く読み解くことのできる新たな視野が開けるかもしれない。北一輝という人物は、一書を上梓した今、ますます謎めき、なお興味の尽きぬ対象である。
[しみず はじめ/前早稲田大学教授]