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  • PR誌『評論』189号:社会変革、農法変革の「むらモデル」 ──磯辺俊彦君を悼む──

社会変革、農法変革の「むらモデル」 ──磯辺俊彦君を悼む──

齋藤 仁

磯辺俊彦君が亡くなったのはこの6月である。84歳、今年85歳になるところで、旺盛な研究活動をつづけながらの長い闘病生活の末であった。静かな最期だったという。
磯辺君は、農業総合研究所(総研。現農林水産政策研究所)30年、千葉大学10年、東京農業大学5年という職歴で、この職歴は、私が東京農大に9年勤めていた点が少し違うが、3年のずれで私とまったく同じである。こういう人は他にはいない。また、1997年から12年間、金澤夏樹さんを囲む研究会でいっしょだった。不思議な縁である。そして、ずっと親しかった。
磯辺君の最後の著書となった『むらと農法変革──「市場モデル」から「むらモデル」へ』(東京農業大学出版会、2010年11月)は、今となっては生涯のというべき研究の集大成である。磯辺理論の骨格がよく出ていると思う。第・部「これまで──seinとしての農法変革」、第・部「これから──sollenとしての農法変革」の全編を通して一貫しているのは、日本農業の農法変革、つまり農業生産力の革新的発展のための主体的、また客観的条件の追究である。
「これまで」の農法については、いわゆる明治農法にはじまる日本の近代農法が、アジア湿潤地帯という自然環境に適合した、労働対象技術の深耕精作農法として発展したこと、その直接の推進主体は時代を追って自作大農層、地主、自小作中農層であったことが説かれる。このような把握は、今日ほぼ通説になっているといってよいであろう。精密な実証による磯辺君の貢献は大きなものがあった、と思う。
ところが、この旧稿による「これまで」についての議論では、「むら」は、少なくとも積極的な説明要因としては出てきていないように思われる。「むら」が磯辺理論の核となったのは、1970年代に行われた磯辺君を含む総研所員による山形県の一村落の共同調査(豊原研究会『豊原村──人と土地の歴史』農業総合研究所・東京大学出版会、1978年)を大きな契機としている、と見ていいだろう。この調査を通して得られたことは、日本農業の生産力の形成は、生産資源(水、山)を「むら」が地域共用資源として管理することを条件としてはじめて可能であり、「むら」は日本の小農制の存立条件であるということであった。
ここでは生産力形成の主体である農民は「むらびと」である農民として捉えられ、「むら」内の私的土地所有はたんなる市民法的な私的所有ではなく、「むら」による公有の側面を持つ個人的所有である、とされる。そして日本の農業は、アジア湿潤地帯に共通な深耕精作の農法と、封建制を経過した西欧と共通の締まった「むら」を持ったという点で、つまり風土と歴史と両面の規定を受けて、独自の型としてあらわれることになった、とされる。この日本農業の構図が、その後の磯辺理論の基本枠になった。
今日の日本農業の困難は、生産力発展の困難と捉えられる。そして、生態的に合理的な生産力の変革的発展は、場合によっては村々連合にまで広がる「むら」の自治的な統合力による土地利用と労働配置の再編成による集団的土地利用秩序の形成、それを基礎とする地域循環農法の確立によって可能であるという。そして「むら」の統合力を強化するために、明治政府によって否定されて今日に及んでいる「むら」の地方行政機関としての公的位置を取り戻すべし、という。
提言は、農業をとりまく大状況についてもなされる。農業生産力の上昇が達成されても、その経済的実現を阻害し、結局生産力の向上自体を阻害しているものとして、円高体制に集中的にあらわれている日本の国際経済関係をあげ、農工不均等発展を促進する不公正な取引関係の是正が必要であるという。公正取引という概念、あるいは比較生産費説についての考え方等、いろいろ議論すべきことがありそうであるが、ここに示されているのはグローバリズムと日本の対外経済姿勢に対する強い批判である。
磯辺君とは、「むら」重視という点では互いに一致しながら、話し合っても一致できなかった点がいろいろ残った。「むら」の公的統合力を大きく見すぎているのではないか、農民にとって農業は、今日ますますそうであるが、結局は私的生活のための一つの選択肢なのではないか、日本の「むら」はそもそもの成立期である近世においても、その強い自治統合力は国家がそれを地方行政機構の公的機関として位置づけた結果として形成されたわけではないのではないか等々の点である。
磯辺「むら」論はさらに、伝統的な家産制家族の分解の進行による「むらびと」の市民としての自立化を展望する。「むらびと」である市民の形成である。そして展望はさらに進んで、「むら」の外の市民の「むらびと」的市民化、共社会としての全体社会の形成に及ぶ。「むらモデル」は、こうして「市場モデル」に代わる全社会の編成モデル、社会変革のモデルになる。
心を引かれる展望である。磯辺君はポラニーを引き合いに出しているが、今思えば最近のコミュニタリアニズムの思想なども出して話し合えばよかったかもしれない。しかしいずれにせよ、思想の領域にまたがる問題は、共感ができても、論理の上で一致できるとは限らない。『共の思想』(日本経済評論社、2000年)で磯辺君は、夢を失った客観主義の社会科学は、結局は現実肯定になって無意味だといっている。そして、社会変革の主体を出して積極的に夢を語り、思想を語った。しかし、社会構築の思想を組み入れた社会科学の可能性は、一般になお論じ尽されているとはいえないのではないか。議論をつづけたかったと思う。
磯辺君は、最後の著書の末尾で、後進への期待を語るとともに、自分としてもやることはまだある、と語っている。そのみずからにかけた思いは叶わなかったが、「むら」概念を取入れた農法を論じ、さらに社会の全編成原理に及んだ磯辺理論は、これからも多くの研究者に議論の材料を豊富に提供し、有益な刺激を与えつづけるであろう。そして、親しかった人たちには、その議論に加わる磯辺君の声が聞こえてくるのではないか、という気がする。
[さいとう ひとし/元農業総合研究所研究員・千葉大学教授・東京農業大学教授]