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  • PR誌『評論』188号:三行半研究余滴3 「性格の不一致」を理由とする三くだり半

三行半研究余滴3 「性格の不一致」を理由とする三くだり半

高木侃

江戸時代に寺子屋用に編集された教科書の類を「往来物」といい、江戸中期以降さかんに出版された。そのなかに手紙文や契約証文などの書式(雛形)を載せた「用文章」というものがある。証文の書式として、ときに離縁状の書式を載せたものが相当数みられる(筆者は37冊ほど確認している)。そのなかに弘化2年 (1845) に出版の東里鼻山著『増補 手紙早便利大全』 (江戸・三河屋甚助他刊) があり、 関所通行手形・詫び証文などとともに「離縁状書やうの事」がある。
存寄に不叶、あるいハ不束之義有之、又は当人望ニまかせりえん致し候などと書ハ甚ハだ宜しからず。たとへさやうにても三くだり半のことなれバ、すら__と書て遣ハすをよしとす。
として左の書式を掲げている。
   一札の事
一其許義、気不合候ニ付、
 離縁致し候処実正也、此後
 他え嫁し候とも少も差構無之候、
 後日のため仍如件
  年号月日   何ノ誰 判は押さ
      たれ殿    ざるなり
つまり、「存寄に叶わず」 としては夫の恣意が表面に出過ぎ、 「不束の義これあり」 では妻の有責性(落ち度)を表示することになり、また 「当人望みにまかせ」 すなわち妻の離婚請求によったとしてはタテマエである夫権優位にもとるわけで、これら三様とも離縁状の離婚理由としては相応しくないとしている。その上で例え事実はそうであっても離縁状に相応しい書式としては、抽象的であるのは当然として、双方とも非有責的な「気合わず候」、今日のいわゆる「性格の不一致」の文言がよいとしている。
この書式に則った実例の写真(左頁)と釈文を掲げる。大きさはタテ25・0、ヨコ30・6センチである。
   一札之事
一其許義気ニ不合候ニ付、離
縁いたし候処実正也、此後
他へ嫁し候とも一切差構無之候、
後日のため依て如件
       矢島村
 嘉永二己酉年  儀 三 郎(爪印
      正月
    強戸村
     る い と の
難読の村名は、入手経路からこのように読んだ。強戸村・矢島村はともに上野国新田郡の村(現・群馬県太田市)である。
本文の読み下し文はこうなる。
そこもと義、気に合わず候につき、離縁いたし候ところ実正なり、この後他へ嫁し候とも一切差し構えこれなく候、後日のためよってくだんのごとし
書式との大きな相違は「気不合」が「気ニ不合」と「ニ」が入っていることだけである。しかも上野国では「為後日」を用い、「後日のため」は余り使われないので、右の三くだり半がこの書式を忠実に模倣したことがわかる。
夫婦どちらの責にもしない「性格の不一致」を理由とすることは、円満に離婚を成立させるための方便としても適切であり、現代では日常的に用いられている離婚理由である。しかし、この書式に則って書かれたものは、1200通の収集のなかで、たったこれ一通だけである。理念としては離婚理由として最適とされたにもかかわらず、実例として一通しか見られないのはなぜであろうか。
実は書式の離婚理由の三分の一は「我等勝手ニ付」であり、これを従前夫が勝手気まま(自由)に妻を離婚したと解釈したが、「勝手」をするのは悪いことであるとの価値判断があり、離婚に至ったのは我等(夫もしくは夫方)に責任がある(悪かった)と述べたもので、反射的に妻には責任がないことの表明と筆者は理解する(実際には妻に落ち度があったとしてもこの文言を用いた実例もみられる)。このような考え方(自ら進んで非を認める)は「強者の論理」であり、タテマエとして夫権優位だったので、互いの気が合わないと夫婦対等の表徴は当時の社会通念にはなじまなかったものか。
[たかぎ ただし/日本近世離婚法史]