柴田敬と「資本主義の危機」

牧野 邦昭

私が柴田敬という経済学者の名前を初めて知ったのは、『近代日本の社会経済学』(八木紀一郎著、筑摩書房、1999年)で戦時経済に関与した京都帝大の経済学者として紹介されていたのを読んだ時である。どちらかというと経済学そのものより「経済学は社会にどう受けとめられているか」という知識社会学的なことに関心のある私は、経済学(者)と戦時経済との関係に興味を持ち、京都大学大学院経済学研究科に進学した。経済学研究科図書室の柴田文庫の蔵書中に高坂正顕・西谷啓治・鈴木成高・高山岩男の署名入り『世界史的立場と日本』(中央公論社、1943年)を見つけた時は、戦時中の京都における知識人の知られざるネットワークに触れた思いがした。とはいえ、世界的にも高く評価されていた柴田の理論経済学研究と、自伝『経済の法則を求めて』(日本経済評論社、新版増補2009年)でも書かれている経済新体制運動などの実践活動への関与とがどうつながるのかがよくわからず、一時期は柴田の研究からは離れていた。
しばらくして、柴田の戦時中の一般均衡理論やケインズ理論の検討についての理論経済研究と一般向けの著作や座談会記事、後年の回想などを見直して、柴田にとっての最大の問題は「資本主義の危機」をどうするかということではなかったかという考えに至った。柴田といえば「資本家が技術選択において合理的であれば一般利潤率の低下は起きない」とする柴田=置塩定理が有名だが、柴田はそれを発展させて独占化の進行によって一般利潤率は低下すると考えた。したがって不況対策として貨幣供給を増やして利子率を低下させても、投資はそれに反応せず増加しない。一方で戦時下の日本では「国防国家」建設のために軍需産業や重工業への投資が求められているが、それは一般利潤率低下という危機下にある独占資本主義においては容易に実行できない。したがって独占企業を「公社」にして政府の指導下で必要な投資を行うことが必要であり、それゆえ日本経済の「革新」が求められることになる。こうした視点から拙著『戦時下の経済学者』(中公叢書、2010年)で戦時下における柴田の理論研究と実践活動とを紹介した。
さて、柴田は現代では環境経済学の先駆者として扱われることが多い。柴田が公職追放時代に着想した「壊禍の法則」、つまり産業革命以降の資本主義に基づく経済発展は有限な地下資源を「食いつぶす」ことで成立したという考えは、公害問題の深刻化や石油危機に伴って注目を集めることになった。ただそこで注意したいのは柴田が「壊禍の法則」を一般利潤率の低下の要因として考えていたことである。地下資源の「食いつぶし」が進んでいけば採掘費用が増加したり低品位の資源の利用を余儀なくされたりして多くの生産財や労働力の投入が必要になり、結果として一般利潤率は低下していく。なお、柴田は資本主義において一般利潤率の低下を遅らせる原因を技術進歩としたが、それは「食いつぶし」を先送りにするだけで根本的な解決にはならないと指摘している。
こう考えると、経済学者としての柴田に言及する際に触れられる「柴田=置塩定理」、さらにそれらへの世界的な評価は、柴田自身にとってはあくまでも出発点に過ぎず、常に念頭にあったのは日本及び世界が直面する「資本主義の危機」をどのように克服するかということであったと思われる。そして「失われた20年」が叫ばれ、石油やレアアースなどの確保に関して資源大国との交渉力が問われ、さらに原子力発電にどう向き合うかが問題となっている現在の日本で柴田を取り上げるとすれば、戦中・戦後における柴田の問題意識とそれに基づく苦闘(仮にそれが挫折や未完に終わったとしても)にこそ注目する意味があると思われる。停滞する日本経済および危機に直面する世界経済にどのような政策が求められるのか、資源の「食いつぶし」をできるだけ避けるためにはどのような経済が望ましいのか、そして資本主義が危機を克服し今後も生き延びるためには何が必要なのか──こうした観点を踏まえながら、柴田の軌跡を描くことができればと考えている。
[まきの くにあき/摂南大学講師]