「今さら」のマルクス

寺出 道雄

この度、日本経済評論社から、『マルクスを巡る知と行為──ケネーから毛沢東まで──』を出版していただいた。そこで、この小文では「なぜ今マルクスか」、いや、むしろ「なぜ今さらマルクスか」ということを述べてみたい。
私が20代のころ、すなわち1970年代ころまでは、マルクスに関する出版は花盛りだった。比較研究という点でも、スミスであれ、ウェーバーであれ、ケインズであれ、誰でもかれでも、マルクスと対比して語られた。しかし、昨今ではそうした比較研究はもとより、マルクス自身についての研究も少なくなっている。
こうした大きな変化の根底には、もちろん、ソ連邦の崩壊に象徴される「社会主義の夢」の消失という事態があることはいうまでもない。しかし、私はそれだけではないと考える。
「体力の限界」という一言を残して引退した名横綱がいた。マルクス、あるいは『資本論』は、その「体力の限界」をはるかに越えて「現役」をつとめさせられ、疲労しきってしまったのではないだろうか。今日において、ワルラスやケインズでさえ、その主著の単なる要約を「経済原論」とみなしたりはしないであろう。それなのに、『資本論』だけは、その要約版が「経済原論」として語られてきた。
しかし、その独特の皮肉や諧謔や、しばしば「超」のつく毒舌に満ちた『資本論』からそれらを抜き去り、さまざまの有効な『資本論』への批判も無視して、超然と語られた「マル経」に一体どれだけの魅力があったのだろう。もうそろそろ、『資本論』を「普通の古典」として扱い直すべきなのではないだろうか。「現役性」と「古典性」とはおのずと異なる。マルクスはおろか、彼に先立つケネーやスミス──彼らのことは拙著でも取りあげた──の著作でさえ、それらを「古典」として読むと、驚くほどの新鮮さに満ちていることに気づくのである。
そうした点からすれば、「マル経」という学問の枠組みのもとで『資本論』を学び始めた私たちの世代は、『資本論』の「古典」としての新鮮さに、もはや十分に鋭敏にはなれなくなってしまっているのかもしれない。しかし、西方には多くの横綱がいるのに、東方の横綱はマルクスただ一人という、まことに不思議な番付表とは無縁に、今後『資本論』を新たに読む人々のなかから、ときにペダンティックで、ときに資本主義を呪詛して咆哮するその書に、私たちまでの世代の気付かなかった新たな魅力を発見する読者が現われるかもしれない。
なお、拙著では、以上で述べた第一部「知としての思想──経済学史・経済思想史の研究」とともに第二部「行為としての思想──共産主義運動史料の注解」という戦前の日本における共産主義運動についての叙述も設けている。私はこの「超現実的」ともいえる世界であった、日本の共産主義運動史も、新たな世代の新たな研究者が、これまでとは全く異なった視点から研究するに値するさまざまの問題を潜在させていると考えている。
また、慶應義塾は近年、戦前以来の日本共産党のシンパサイザーであった水野津太(女性・司書)によって、いわゆる「50年問題」と呼ばれる党内紛争の過程で保存された、日本の社会運動史・革命運史の史料(「水野資料」)を入手した。
私はこの資料の保存に偶然にかかわることになったのだが、第二部では、第一部の話題をより具体化するものとして、その資料の紹介・注解をおこなっている。
もう還暦を過ぎた私である。しかし、本書を読んで下さる若い研究者にとって、本書が一粒の「小さな辛子種」となり、未来においてたくさんの大きな実を実らせる一助となってくれれば、私にとって大きな喜びである。今日の出版事情下で、困難な拙著の出版を引き受けて下さった、日本経済評論社(栗原哲也社長)と編集部の谷口京延さんへの感謝を改めてこめて、以上のことを述べておきたい。
[てらで みちお/慶應義塾大学教授]