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  • PR誌『評論』187号:言葉と共同性──震災後の詩を手がかりに

言葉と共同性──震災後の詩を手がかりに

小関 和弘

東日本大震災から1年余が経過するなか、言葉の世界にもさまざまな変化や展開が起きている。詩歌の世界に関わらせながら、現在の言葉と社会のありようについて少しばかり考えてみたい。
東日本大震災に触れる際、しばしば引き合いに出されるのが阪神・淡路大震災である。詩歌の世界では、そのわずか3カ月後に156編の詩を集めた『詩集・阪神淡路大震災』(アート・エイド・神戸)、そして297人の短歌、俳句、詩、随想を収めた『悲傷と鎮魂』(朝日出版社)が刊行された。作品に込められた個々の表現者の深い思いを尊いとは思うものの、刊行に漕ぎ着けた素速さにはいささか驚く。
だが、その速さは関東大震災から僅か2カ月後に、49人の詩人の詩を収める『震災詩集/災禍の上に』(新潮社)が刊行されたことと較べるなら、まだ多少ゆっくりだったと言うべきかも知れない。『災禍の上に』の各々の詩篇には、多く類型的な修辞が用いられており、その基底には、個人の抒情を追究してきた近代詩の胎む〈危うさ〉に由来する「集団回帰」の志向が見られること、そしてそうした傾きが戦時中の翼賛詩集へと繋がる動因だったと考えられることを、私はかつて「震災詩集の書法」(原田勝正・塩崎文雄編『東京・関東大震災前後』日本経済評論社、1997年)で指摘した。
ところで、東日本大震災に即しては、俳人の長谷川櫂が『震災歌集』『震災句集』(中央公論新社、2011、2012年)を出したのを除くと、震災や災禍を正面から書名に掲げた詩歌集は刊行されていないらしい。その大きな理由の一つが、震災から間もなく思いの丈をツイッターで呟き、それらを3冊の詩集にまとめた和合亮一の仕事の存在であろう。これまで中原中也賞や晩翠賞の受賞者として詩壇と現代詩愛読者の中くらいでしか知られていなかった和合は、『詩の礫』(徳間書店)、『詩ノ黙礼』(新潮社)、『詩の邂逅』(朝日新聞出版)〔全て2011年〕に結実する仕事で一躍脚光を浴びた。ツイッターのフォロワーは2万人を越え(今年3月末現在)、詩集も現代詩のそれとしては、異例の売れ行きがあるらしい。
和合の呟いた詩には、荒川洋治の批判に始まり、当初違和感を抱いたものの、後に和合の姿勢の意味を理解したと語る伊藤比呂美(「詩人の良心を信じたい〈ことのは311〉」、「朝日新聞」デジタル版 2012年2月29日)や、批判の主意に理解を示しつつも「批判もじつはまたステレオタイプの反応では」と語る小池昌代(「表現を萎縮させる社会の空気〈ことのは311〉」、同上、3月1日)など、複数の詩人から見解が出された。詩人以外では、_秀実の「和合に象徴される「詩壇」の劣化は、1989年の湾岸戦争時における詩人たちの、これまた愚劣だった対応より、はるかに後退」(『反原発の思想史』筑摩選書、2012年)したとの批判や、『詩ノ黙礼』に即し、完成度の物足りなさと、「書かれざる哀しみ」に欠けるとした高橋源一郎の発言(「2011年の詩」、「新潮」2011年11月)もある。
私自身は和合の詩を(詩集で、との留保付きで)読み、複数出現する「あなた、大切なあなた」、「あなたは今、何をしていますか」、「僕はあなたです。あなたは僕です」といった表現に、正直、鼻白む。
和合の詩を少し批評的にみると、例えば『詩の礫』には、漠然と不特定多数を指すとしか読めない「私たち」の語が70ツイート以上で出現することがわかる。総数は百を超えよう。かつての和合は例えば、『地球頭脳詩篇』(思潮社、2005年)の「晴天好日」で「粘土をこねているうちに思い出せなくなるものがある/(3行略)/粘土が私たちの形を奪って私たちになろうとしている/」と、「私たち」という言葉の不定形さを照射した詩人である。その和合が、人間全体を指すかのような「私たち」を濫用してしまう事実。「詩壇の劣化」との批判は性急だが、私はこの現象に和合を含め、少なからぬ現代人が、「私たち」なる〈場〉を求める心性、〈共同〉性への強い希求をもつ危うさが照らし出されているのだと思う。ただし、かつての二つの震災後に「迅速に」出された合同詩集と違い、これらが和合〈個人〉の詩業であり、ツイッターという機会詩である点は無視できない。だから、直ちにかつての翼賛詩の係累とは呼べない。
和合の時々の呟き、それに対するフォロワーのありようからは、現代人と現代の表現が抱える痛みのようなものが伝わってくる。言わば、和合詩が受け入れられる文化土壌こそが問題なのだ。
谷川俊太郎は「言葉」(「朝日新聞」2011年5月2日夕刊)に「言葉は壊れなかった」と記す。一方、辺見庸は『瓦礫の中から言葉を』(NHK新書、2011年)で震災後の公共広告の言葉の単純さを指摘し、「人びとに深く複雑な思考をさせなくし、異端や反抗の思想をもたせないようにすること」への危惧を表明した。また、阿部和重は谷川の詩行を視野に入れた「言葉も壊された」(「朝日新聞」2012年3月10日朝刊)で、政府や東電など公共機関の情報隠しを典型として「言葉がその場しのぎの道具へと貶められた」と指摘する。これらの指摘は青森の雪が運び込まれた沖縄で市民が「内部被曝」の恐れを広言し、瓦礫受け入れを進めようとする秋田県では風評被害を恐れる水産加工業者が「支援なら、ボランティアとか他の方法もある」と語ったように、メディアで流通する単語がほぼ無批判に市民レベルで受け入れられ、自分の言葉として発話されていることにも関わる指摘と言える。
鷲田清一は『語りきれないこと』(角川書店)と『東北の震災と想像力』(講談社)〔共に2012年〕の2著で、或る避難所に「心のケア、お断り」との貼紙があった事実に触れている。被災者に慰めや励ましの言葉を掛けると一口に言われたりするが、このエピソードはそれがそう簡単でないことを厳しく告げている。
心のケアを目指す人も、「内部被曝」を云々する市民も、そしてこの私も、言葉の基盤・基底を共有しているつもりで発話をする。だが、それらの言葉はそれぞれが内に抱く〈善意〉と裏腹に、共有されるべき基盤を失っていはしないか。各々の発話の奥には、和合詩に共鳴した人びとの「私たち」への希求と同じ、現代の言葉と人間の共同性をめぐる危うい事態が横たわっているように思えてならない。
[こせき かずひろ/和光大学教授]