神保町の窓から(抄)

▼またひとつ漢字の地名がカタカナになった。それは原爆を落とされた広島・長崎が最初で、米軍基地に占有された沖縄がその次。両者ともに世界性をもつ課題を背負い込んでいるからだ。そして今度は福島が、前二者とは異質な形でフクシマと呼ばれ始めた。原発事故も世界性はあるが、ヒロシマ、オキナワに較べたらその関心は圧倒的に低かったと思える。ノーモア・ヒロシマと叫びつづけてはきたが、原発の危地が津波で丸ごと流されるなんて考えた人は一人もいなかったのではないか。海底深くであの異様な火が燃えつづけたとしたら、世界の、海や魚や生き物はどうなってしまったか。流されはしなかった原発だが、あの状態でだって、世界中を汚し始めている。そもそも修理出来ない工作物を作ることへの恐れはなかったのか。神をも恐れぬ仕業とはこのことではないのか。
 東京にいて灯りを無尽に使いながら、この電気が福島の原子炉の火だとは気にもかけていなかった。節電を強いられて初めて知った、東北からの搾取電源の重みである。力なき東北の村に原発を集中させ、都市の浪費を支えるシステムは、原発の危険や修理不能をかくし、安全神話を語るしかなかったのだ。市場原理と高度な科学技術が手を結んだとき、人間の欲望はより悪へと暴走する。福島が世界のフクシマになってしまった今、われわれにできること、しなければならないことは、無関心を捨てることだ。本屋に何が出来るか、などと高尚ぶった議論をするよりも、原発の誕生とそれを育成した歴史や、その害毒度に無関心であった自分を正気に戻すのが先だろう。言い方を変えれば知らないことは聞くことだし、知ってることは話すことだし、そう、話し合うことだ。みんな3・11以後は考え込んでいる。生命のこと、人間と自然の関係のこと、地域でのつき合い方、絆という言葉も頻繁に聞くようになった。
 ところで、TVも新聞も本当のことを伝えていないような気がする。放射線を浴びた肉のことだって、本来なら食べてはいけないものなのに「この線量なら大丈夫」と、すぐ安全を宣言する。どうしたらいいかを議論しなければならないのに、その議論を止めてしまうような論調なのだ。福島原発の被害は、チェルノブイリを上回ると指摘するソ連の学者がいるのに、そういう発言は伝えない。チェルノブイリではもう100万人を越す死者が出ているという。10万じゃないよ。福島もこれから何十年か先にはこうなるのか。そんなことを言ったらパニックを起こすから、危ないことは言わないと政府高官。「福島は別です」と議論に蓋をしないで、どうしたらいいかと議論を巻き起こすのが、あれ以後のやり方ではないのか。原発で死ぬくらいなら真っ暗闇のほうがいい、という人もいるかも知れない。
▼7月上旬の朝日新聞が『「3・11」前の原子力本』という小特集を組んだ。「本屋さんには、新刊の原発本が山積みだ。だが、こんなときは、3・11に先立って世に出ていたものをまず読みたくなる。確実に後知恵ではない真実がある。」と書き出し、岩波書店と筑摩書房、みすず書房そして新潮社、集英社の本が紹介されている。どれもリッパな、あれ以前に出た本のようだ。これらの本にあれこれ言うつもりはないが、原発の非を論じ、その危険性、欺瞞性を突いた本はこの大出版社に限らない。われわれの組織するNR出版会の仲間「七つ森書館」では創業間もない1986年に高木仁三郎の『チェルノブイリ 最後の警告』を出している。早すぎてか「全く売れなかった」そうだ。それでもここの創業者はめげずに『脱原発年鑑』(原子力資料室編)を出し、さらに『反原発出前します!高木仁三郎講義録』『科学としての反原発』(久米三四郎)など3・11以前に80点近くの「反原発」ものを積み上げている。『高木仁三郎著作集』全16巻もここだ。出版梓会からはこのひたむきな反原発姿勢を褒められ「出版文化賞」をもらっている。七つ森書館だけではなく、わが仲間たち現代書館、新泉社、柘植書房、批評社、緑風出版なども80年代からすぐれた意見書を出し続けている。朝日新聞の視点がどこにあったか不明だが、このような時だからこそ、書評紙面の常連出版社ではなく、「反原発」を貫いてきた弱小出版の、地道な活動を紹介してほしかった。
▼7月16日、東日本大震災の爪痕を、ニュースで見させられるだけではなく、この目でもみておきたいと思い福島に足を運んだ。老体だ、遠くまでは行けない。郡山から49号線でいわき市に向かい小名浜港に到着。今もなお斜めって立つ電柱やアスファルトの山、海辺に横たわる家や工場の残骸は、やはりこの目で見なければならなかった。水族館「アクアマリン」は修復なって今日が再開の日だった。子どもたちが手をつないではしゃいでいた。そこでの地元の老人「とにかく、目にみえるものが元の形に戻ってくれなければ、先のことは何とも言えないな」と。きっと放射能も浴びたに違いないが、現地を見た安堵とともに夜中に帰館。走行578 km。 (吟)