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  • PR誌『評論』184号:『植民地台湾の経済と社会』の刊行に際して

『植民地台湾の経済と社会』の刊行に際して

谷ヶ城 秀吉

いわゆる村山談話に基づいて1995年度から2009年度まで実施された(財)交流協会日台交流センターの研究支援事業は、日台双方の若い研究者が台湾あるいは日本に中長期間滞在して研究に従事することを可能とした。その結果、若い研究者が国境を越えて私的な研究者ネットワークを構築することも特別なことではなくなった。今回刊行される老川慶喜・須永徳武・谷ヶ城秀吉・立教大学経済学部編『植民地台湾の経済と社会』は、こうした研究者ネットワークを基盤に日台双方の研究資源を活用することでなされた国際共同研究の成果である。
私が国立台湾師範大学の大学院生であった蔡龍保さんとはじめてお会いしたのは、2002年夏のことであったと記憶している。二人とも『台湾総督府文書』目録作成事業の作業補助員という立場であった。その後、前述の研究支援などを得た私たちは、台北もしくは東京での調査の合間に会い、親交を深めた。私の研究仲間である湊照宏さんや鈴木哲造さんもこれに加わり、議論は深夜にまでおよぶこともあった。
本書刊行の契機は、2009年8月に蔡さんを立教大学経済学部プロジェクト研究「市場の地域性」(研究代表・老川慶喜)の報告者としてお招きしたことにある。研究会後の意見交換会でわれわれは、東アジアの経済的な諸問題に関する共同研究を推進することで意見が一致した。2009年12月には蔡さんが所属する国立台北大学人文学院と立教大学経済学部の間で国際学術交流協定が締結された。翌年12月には、立教大学太刀川記念館を会場とした国際シンポジウム「植民地台湾の経済発展と市場の生成」を開催するにいたった。本書は、その際の報告原稿をベースに構成されている。
1980年代後半以降の台湾の民主化・自由化・「台湾化」は、台湾史をめぐる研究環境を劇的に変化させ、研究を活性化させた。こうした変化とともに、研究対象やアプローチも大きく変化した。駒込武『植民地帝国日本の文化統合』(岩波書店、1996年)以降、「帝国」日本の植民地支配は教育・文化の側面から把握されることが主流となった。1990年代の歴史学に強い影響を与えたポストコロニアリズムやカルチュラル・スタディーズの流行がこれを促進した。中央研究院台湾史研究所『台湾史研究文献類目』(2009年度)によれば、植民地期を対象とした研究成果393件のうち、「社会文化」に分類される成果は136件にのぼった。近年の台湾史研究が教育史と文学史を軸する文化史研究の活性化によって牽引されたことは明白である。
別言すれば、これは政治史・経済史研究の停滞と表裏の関係にある。とりわけ経済史研究は、深刻な低迷状態にある。現在、日本において植民地期台湾を主たる分析対象とする経済史・経営史研究者は、おそらく10名程度にすぎないだろう。
とはいえ、経済的側面から「帝国」日本の植民地統治を問い直す必要性が減じたわけではない。イギリス帝国史研究者の前川一郎が指摘するように、「帝国」を分析対象とする研究では、その植民地支配を構造化した政治や経済に関する歴史研究の深化がむしろ求められているのである。
そこで本書は、これまで台湾を直接の研究対象としてこなかった日本経済史・経営史研究者にもご参加いただいた。その結果、比較と相対化を強く意識した、ユニークな成果によって本書を構成することができた。この点は、本書の大きなメリットである。
率直に告白すれば、「帝国」の多様な「市場の生成」メカニズムが十分に解明されないなど、この共同研究を推進するにあたって当初設定した課題のいくつかが未検討のまま残されるという問題を本書は抱えている。しかし、本書は日台経済史研究者による植民地期台湾を対象とした日台初の共同研究の成果であり、かかる意味において研究の地平を先駆的に切り開く可能性を有していると考えている。
科学研究費補助金基盤研究(B)「植民地台湾の経済発展と市場の生成」(研究代表・須永徳武、2011~13年度)を得たわれわれは現在、新たな共同研究者数人を日本と韓国からお迎えし、残された課題の解明に取り組んでいる。本書の刊行を梃子とし、持続的に研究を進めることがわれわれの当面の仕事である。
 [やがしろ ひでよし/立教大学経済学部助教]