柴田敬先生の残したもの

公文園子

恩師柴田敬先生が1968年5月22日に83歳で逝去されてから早くも24年近い歳月が流れた。この間に、先生が生涯を通じて追求したかずかずの理論的遺産を次の世に伝える手がかりとなることを願い、著作の整理や文献目録の作成などの資料整備を進めてきた。この機会に若干の資料を紹介しておくことにしよう。
最初に着手したのは、先生の遺稿を追悼文集に収録する作業であった。没後1年を機に追悼文集『大道を行く──柴田敬追悼文集』(発行人、御令嬢鹿島郁子・長坂淳子両氏)が先生とゆかりの深かった日本経済評論社から刊行され、その冒頭に遺稿「核戦争勃発の危険から人類を救う道」が収められた。残念ながらそれは完全な形には作り上げられてはいないが、晩年の先生の問題意識と研究の進度を知ることができるかけがえのない資料である。次いで京都帝国大学時代のゼミ生杉原四郎氏が「柴田敬先生──人と業績」を書いている(杉原四郎『日本の経済思想家たち』日本経済評論社、1990年に再録)。さらに、年来の友人都留重人氏の他、篠原三代平、置塩信雄、伊東光晴、根岸隆の諸氏をはじめとする日本を代表する経済学者、一般の友人、門下生など127人の文章が収められ、最後に年譜(長坂淳子氏編)と著作目録が付記されている。追悼文には、個人的な想い出を語ったものだけでなく、先生の経済学者としての業績について各分野の専門家が述べたものも数多く収められていて、故人の人と学問について関心を持つ人々にとって有益な文献となるであろう。
翌1988年春、杉原四郎氏より「柴田先生の経済学について書かれた文献の目録を作る作業を門下生の協同ですすめたい」との提案があった。早速、杉原氏、岡村稔氏、筆者の3人による協同作業が開始された。杉原氏のアドバイスを受けつつ、この作業は以後20年以上にわたって続けられた。翌年3月に関西大学『経済論集』(第38巻6号)誌上に発表された「柴田敬研究目録」はその最初の成果の一つである。
この目録では、柴田先生に関する研究文献の他、エッセーや書誌的文献などを含めて蒐集されたものが発表年代順に掲載されている。その際、書名、誌名、発行所、発行年、引用ページに加えて、著作の引用状況を検索できるように編集されており、その意味では個人書誌の一種として独立した引用文献ともなっている。
その後文献目録は、1997年5月、2002年10月、2009年5月の3回にわたって『青山国際政経論集』誌上で発表された。ちなみに2002年10月号は先生の生誕100年に寄せたものであり、目録の他に門下生2名のエッセーが掲載されている。2009年5月時点における収録文献総数は、約630点、その内訳は戦前が約60点、戦後が約570点(没後約350点)となっている。注目されるのは没後も引用される度数が増大していることであり、柴田経済学への関心が衰えていないことがうかがえる。
先生の晩年に日本経済評論社から刊行された回想記『経済の法則を求めて』(1978年8月)が学界のみならず一般の読者に迎えられ、その後も幾度か版を重ねたことが一つの理由であろう。冒頭には青年時代の想い出も書かれており、本書は先生の足跡と業績を辿る際の重要な資料となっている。このことは先生の人と学問を紹介する上で、先駆的役割を果たしたと思われる都留重人氏の『現代経済学の群像』(岩波書店、1985年)や根岸隆氏の「柴田敬──国際的に評価された最初の経済学者」(鈴木信雄責任編集『日本の経済思想2』日本経済評論社、2006年)において参照されていることからも明らかであろう。また1978年12月に日本経済評論社から刊行された最後の著書『転換期の経済学』が多くの読者によるコメントに恵まれ、学界においてかなりの反響を呼んだことがもう一つの理由であると思われる。杉原氏が上掲の追悼文や、増補『転換期の経済学』(1987年5月)の「あとがき」において述べているように、本書は先生にとって「記念すべき作品」であったといってよいだろう。さらに、2002年に柴田敬生誕100年を記念する文章が五つ出たことも理由の一つと考えられる。根岸隆氏の「柴田敬博士生誕百年記念」『経済セミナー』(2002年7月号)では、国際的経済学辞典、The New Palgraveの人名項目に、柴田先生が日本人5名の中の1人として登場していることが紹介されている。
文献目録の作成と並行して二つの企画に取り組んだ。一つは追悼記念論文集の刊行である。没後五年にあたる1991年5月に論文集『柴田経済学と現代』(杉原四郎他編、日本経済評論社)が刊行された。本書には都留重人、篠原三代平、根岸隆、保坂直道、室田武、安部一成、貞木典生の諸氏ら7名と門下生4名の論文11編が掲載され、巻末に年譜と引用著作索引が付記されている。収められた論文では先生の理論的業績のみならず、統計的・実証的業績なども取り上げられており、柴田経済学の主要業績がほぼうかがわれる。
他の一つは没後10年にあたる1996年に「柴田敬の年譜・著作目録」をあらたに作成したことである(『青山国際政経論集』第37号)。先生の年譜と著作目録は生前と没後に作成公表されたものがいくつかあるが、今回の年譜は個人的履歴の側面は簡略化し、研究者・教育者としての側面を辿ることを主眼とし、著作目録には新たに探索された著作を加えた。これは、2009年12月に刊行された新版増補『経済の法則を求めて』に再録されている。その際、先生の特許申請資料も掲載された。
さらに、1989年に先生の母校である京都大学経済学部に創設された「柴田文庫」は柴田経済学研究にとって重要な資料拠点となっている。そこには先生の蔵書の他、草稿や内外の著名な人々との往復書簡など未公開資料が多数収められている。2007年3月に一橋大学において開催された「マーシャルとシュンペーターの遺産」展において「柴田文庫」所蔵の柴田先生と恩師シュンペーターとの往復書簡(1937年)が出品され人々の関心を集めた。
最後に、きわめて残念なことは昨年7月に杉原四郎氏が逝去されたことである。氏のご指導がなければ、以上の作業はどれも実現しなかったであろう。ここに深い敬意と感謝を捧げる次第である。                    [くもん そのこ/元明星大学教授]