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「生きること」を歴史から問う⑩ モラル・エコノミー再訪

長谷川 貴彦

モラル・エコノミーとは何か。イギリスの歴史家エドワード・トムスンは、1970年代に発表した論文で、一八世紀に頻発した食糧暴動の分析を通じて、モラル・エコノミーなる概念を提示した。すなわち、穀物価格が高騰し食糧事情が逼迫した時、地主貴族やジェントリは市場規制をおこない、家父長的に立ちふるまうことで民衆に対するヘゲモニーを獲得していたのだが、一八世紀になると貨幣経済の発展によって穀物規制が弛緩し、食糧の隠匿や買い占めなどが横行し、民衆は義憤から正当性を主張して蜂起に立ち上がったという。この民衆の正当性観念をモラル・エコノミーと呼んだのである。このモラル・エコノミー概念は、安丸良夫らによって食糧暴動ないしは民衆運動との関連で近世・近代の日本史研究者によっても用いられてきた。だが、民衆運動史への関心の後退とともに、この概念が用いられることもめっきり減ってきたように思われる。

だが、最近のイギリスでは、モラル・エコノミー概念が再び脚光を浴びるようになっている。最初は2015年の総選挙に向けてミリバンド党首下の労働党の新戦略をまとめ上げる過程で、新自由主義に対抗する論理として注目されるようになった。アカデミズムにおいては、リチャード・トーニー、カール・ポランニー、そしてエドワード・トムスンなどを取り上げて、「モラル・エコノミスト」と称する研究が発表されている。さらにいえば、とりわけ現代史研究の領域においてモラル・エコノミー概念が利用されるようになってきているのだ。

そうした事例は、まず戦後福祉国家の性格規定のなかに見てとることができる。1942年のべヴァリッジ報告に直接的な起源をもつ戦後福祉国家構想は、ダンケルク撤退戦で示された民衆の愛国主義に感嘆したイギリス支配階級の「共感」に由来するところが大きいと言われる。そこでは、「仁政」観念に通じる上からの家父長主義的対応が福祉国家を生み出したとする解釈が強調されている。ここでの「モラル・エコノミー」は体制概念として用いられている。

他方、1970年代以降のスコットランド史の解釈にモラル・エコノミー概念を導入しようとする試みもある。1970年代はグローバル化による資本の海外逃避によって製造業の海外移転が加速化して、雇用の大量喪失を招く工場の閉鎖が相次いだ。経営主体を失い閉鎖された工場では、労働者による自主管理に基づく生産継続闘争が激化していた。この労働者による職場支配、いわゆる「労働者統制」の思想が、近年になって「モラル・エコノミー」という言語によって再解釈されるようになっているのである。

スコットランドは、こうした労働者統制の運動が最も激烈なかたちで展開した地域であった。グローバル経済の中でロンドンを中心とした金融資本がイングランドで新自由主義的経済を浸透させつつあるのに対して、この労働者統制の運動はスコットランドにモラル・エコノミーの観念を根付かせることになった。通常のイギリス地方自治の歴史の教科書では、1970年代を起点にケルト民族の地域ナショナリズムが勃興し、1997年にブレア政権のもとでスコットランド地方自治が認められたとする民族主義的解釈が採用されている。しかし、現在のスコットランド国民党の教導理念となっているのは民族主義ではなく、新自由主義のイングランドに対抗する社会民主主義だとされる。レファレンダム(国民投票)にいたるスコットランド独立運動の底流にあるのは、実は福祉国家体制を希求するモラル・エコノミーの思想なのである。

さらにいえば、モラル・エコノミーの思想と実践は、コミュニティ・アクションと呼ばれる活動においても表現されていた。コミュニティ・アクションとは、1960~1980年代において都市部の社会活動に関する組織・方法を総称するもので、運動の争点となるのは、公営住宅、公園、史跡、公共交通、保育、成人教育など多岐にわたるものであった。このコミニュティ・アクションの参加者たちが用いた戦略は、一種のモラル・エコノミーに訴えることにあった。

たとえば、ロンドンの都市再開発問題では、再開発による環境破壊を防止して地元の景観を保全することを訴え、またオフィスの過剰供給を強調することで再開発を阻止しようとした。学生などを中心に直接行動を組織して、まずは地元議会への圧力を加え、さらに地区内の建造物の占拠活動をおこなった。その結果、高層ビルの建設という再開発の原案は、低層の建造物へと計画を変更されることになった。

住宅問題をめぐっては、移民による人口増加や家主優遇主義によって住宅不足が生じ、さらに人種主義やホームレスの発生となって深刻化していた。ホームレスの増加と空き家の増加という逆説的な事態の進行に対して、コミュニティ・アクションのひとつの形態としての「家屋占拠運動」(squatting)が活発化していった。「空き家」に対する占拠は、民衆政治による自己防衛活動であり、共同体主義的な生活実践、つまりモラル・エコノミーだとされたのである。

この度刊行された大門正克・長谷川貴彦編『「生きること」の問い方』は、近世から現代にいたる日本について論じたものであるが、それはモラル・エコノミーの概念をキーワードにして読み解くこともできよう。

明治維新後の秋田県の事例からは、近世日本においては、モラル・エコノミーの変種たる「仁政」観念が領主レベルで共有されていたが、それが地方名望家レベルに下降していったとされる。とりわけ注目するのが地方新聞の役割であるが、それは「名望」を創出し再生産するうえで「富者に社会的圧力」をかける手段となったという。

他方、戦後史では、川崎市の「飢餓突破川崎市労働者市民集会」デモの事例から総力戦体制崩壊後に食料問題のかたちをとる「生存の危機」に際して噴出する民衆のエネルギーが活写される。また地方社会の「共同体の記憶」の分析からは、コミュニティ・アクションの典型例とされるセツルメント運動の経験をもつ住民運動の活動家のオーラルヒストリーも紹介されている。

トムスンがモラル・エコノミー概念を構成するうえで知的刺激を与えたのは、1970年代の民衆の直接行動主義であったことはよく知られている。この民衆運動に刺激され考案されたモラル・エコノミー概念は、近世・近代史の歴史分析を経て出発点たる現代史の分析に戻ってきている。現在の歴史研究の主流が二〇世紀史へと移動し、またグローバル化と新自由主義を基調とする「資本主義」に対する関心も復活するなかで、それへの対抗思想として一貫して存在してきたモラル・エコノミーも、新しい居場所を見つけたというべきであろうか。

[はせがわ たかひこ/北海道大学教員]