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『帝国日本の観光──政策・鉄道・外地』の刊行に寄せて

千住 一

「好むと好まざるとにかかわらず、こんにちのわれわれにまとわりついて離れない観光」。『帝国日本の観光』(老川慶喜先生と共編、2月刊行)の序文で用いた表現である。コロナ以前のオーバーツーリズムやコロナ以降のGoToトラベル事業を挙げるまでもなく、現代社会において観光はわれわれの生活と密接にかかわっている。それでは、こんにちよりも前、さらにいうと近代期の日本──無論そこには植民地も含まれる──において観光はどのような位置づけにあったのだろうか。

本書のもととなった10名による共同研究はこうした問題意識を出発点とし、特に観光と鉄道の関係にフォーカスして研究活動を開始した。4年にわたる共同研究の成果が本書というわけであるが、研究を進めていくにしたがい、確かに観光と鉄道の強固な関係性が顕わになっていった一方で、鉄道からだけでは捉えきれない近代日本における観光の局面がみえるようにもなってきた。また、特に植民地において観光は、鉄道を軸に展開しただけでなく、支配/被支配という異なる軸とも絡みあいながら多様化していったことが改めて確認された。共同研究の集大成である本書が『帝国日本の観光と鉄道』でなく、『帝国日本の観光』というひろがりを感じさせるタイトルを採用した理由はそこにある。

副題にもあるとおり、本書は第一部を「政策」、第二部を「鉄道」、第三部を「外地」として計10本の論考を配置した。序文でも触れているが、これら三つの枠組みはともに日本近代観光史の研究動向を特徴づけるものであると同時に、帝国日本を成立せしめていた近代性の源でもあった。帝国日本の拡大はいかなる観光を生み出し、観光はいかに帝国日本を支えたのか。内地、台湾、朝鮮、満洲、青島を考察対象とし、政策、鉄道、外地という枠組みのなかで、さらにはこれら三つの枠組みを横断するかたちで展開していった観光のありようと、そうした観光の動態からみえてくる帝国日本の輪郭を捉えようとしたのが本書である。

このような本書の編集にかかわったことで、観光学、なかでも観光の歴史学的アプローチの可能性について再確認することができたと個人的には考えている。「観光とは何か」を問うのが観光学の使命だとするならば、歴史学的関心においてこの問いは、かつて観光はどのような機能を有し、それは現代にどのようなかたちで連続/非連続しているのか、と具現化されうる。この意味において、本書が観光歴史学を一歩前進させたことに疑いはない。また本書には、今回の共同研究ではじめて本格的な観光研究に取り組んだ執筆者も論考を寄せている。共同研究や編集会議の場では、観光学に慣れ親しんできた私にとって自明であった認識自体が俎上に載せられる機会も多く、こうしたプロセスを経て完成した本書が観光歴史学という方法論の深化に大きく寄与することは間違いない。

さて、本書を手にとって下さる際は、是非ともカバー写真にもご注目いただきたい。1930年に外客誘致機関として鉄道省に国際観光局が設立されるが、その国際観光局が外国人ツーリスト向けに発行したパンフレット『JAPAN』におさめられた地図を使用している。所蔵元の千葉市立郷土博物館のご厚意で掲載が叶ったが、これが極めて観光的なのである。日本列島、朝鮮半島、中国東北地方、華北、華中、華南、台湾を一枚に収めるため東アジアの空間表現がかなり歪められているだけでなく、図像化された各地の名所や名物が地名のそばに描き込まれている。鉄路と航路が記されていることからもツーリスト向けと容易にわかるこのデフォルメされた地図の製作者は峰庫治(みねくらじ 1887~1975)といい、これをみたマッカーサーが峰を探させたという逸話を持つ。もはや様式美とさえいえる洗練さを伴った吉田初三郎の鳥瞰図にはない峰の雑駁とした表現は、本書の主題である「帝国日本」と「観光」をめぐる当時の感触をみる者に明確に伝えてくれる。本書で取り上げた地域を一覧する峰の象徴的な作品をカバーに据えることができたのも、本書刊行にまつわる大きな悦びだ。

[せんじゅ はじめ/立教大学教授]