• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』175号:ケインズ貨幣経済理論の拡張と展開  ──「ポスト・ケインズ派経済学研究会」発足30周年(上)

ケインズ貨幣経済理論の拡張と展開  ──「ポスト・ケインズ派経済学研究会」発足30周年(上)

渡辺良夫

ロビンソンは、1971年12月末、全米経済学会の招待講演で経済学が「第2の危機」にあると警鐘を鳴らした。この講演に共鳴した経済学者たちが中心となり、ポスト・ケインジアンは旗揚げされた。わが国においては、川口弘が呼びかけ人となり、趣旨に賛同した約30名の研究者の参加を得て、1978年7月、「ポスト・ケインズ派の集い」が開催され、翌年「ポスト・ケインズ派経済学研究会」は発足した。それ以降現在まで、同研究会は、日本経済評論社の後援のもと、海外の主要業績の翻訳、年4回の定例研究会、講演会やセミナー、研究叢書の刊行などをつうじて、ポスト・ケインズ派経済学の普及と発展に努力してきた。
何よりもまず、ケインズ経済学は「貨幣経済の理論」、すなわち発達した金融システムをもった資本主義経済を分析対象とするものである。これまでケインズ経済学として一般に受け入れられてきたものは、ケインズと主流経済学との妥協可能な部分にすぎず、主流派によって無視されてきたものの中にこそ『一般理論』の本質的部分が含まれている。ポスト・ケインジアンの視点からすれば、主流派理論によって等閑視されてきた本質的要素とは、不確実性下の意思決定、貨幣と流動性、資本主義経済の循環的不安定性である。ポスト・ケインジアンは、これら3点に対応するように、資本主義経済における貨幣の独特な性質──非中立性、内生性および不安定性──に焦点を当ててきた。
第1の強調は、主流派の中立貨幣の公理に対して、貨幣の長期的非中立性にある。ポスト・ケインジアンは、ケインズ貨幣理論の視点を受け継ぎ、流動性選好説を『一般理論』第一七章で展開された自己利子率理論に沿って、貨幣から実物耐久財までを含む貨幣的均衡分析として適用範囲を拡張し、貨幣理論と資本蓄積理論との結合することによって、貨幣の長期的非中立性を明らかにしてきた。
第2は、貨幣供給の内生的性質を強調する。ポスト・ケインジアンによるケインズ貨幣理論の拡張は、貨幣経済における投資の主導的役割を重視し、投資支出のファイナンスをつうじて貨幣供給が内生的に決定されることを強調する内生的貨幣供給理論の展開に向けられた 。この内生的貨幣供給理論は、マネタリズムへの対抗軸をなすものである。
第3に、ポスト・ケインジアンによるケインズ貨幣理論の拡張は、金融的要因に起因する不安定性が景気循環を引き起こすメカニズムを解明する方向に向けられた。ミンスキーは、ケインズ貨幣理論をベースにして資本主義経済における投資決定の金融理論を追究し、一貫して金融不安定性仮説を提唱してきた。米国発のサブプライム金融危機は、ベアスターンズの破綻を契機にグローバル金融危機の様相を呈し、リーマン破綻によって金融恐慌に発展した。今はまさに「ミンスキー・モメント」である。今年4月、レヴィ経済研究所主催で開催されたミンスキー・コンファレンスは、フォード財団の協賛のもと、ポスト・ケインジアンとともにスティグリッツやイェレンも講演に加わる盛況さであった。
現代のマネタリスト理論においては、一部の経済主体が価格によって与えられるシグナルを誤って解釈し続けるかぎり貨幣は非中立的となるが、シグナルを誤解していた経済主体がいずれ誤りに気づいて学習するので、貨幣的変化は中立的になるとしている。またニュー・ケインジアン理論においては、情報の非対称性が存在するとき、経済システムは選好、技術および競争的市場によって決まる均衡から乖離し、貨幣は短期的には非中立的となりうる。しかしながら、貨幣の非中立性は経済システムがもつ根源的な性質ではなく、情報の非対称性や市場の不完全性からもたらされるにすぎず、長期的には貨幣の中立性が支配するものとみなしている。
これらの見方とは対照的に、ケインズが意図していたことは、貨幣の非中立性を基本的な前提に据える貨幣経済の理論を展開することにあった。ポスト・ケインジアンによるケインズ貨幣理論の拡充は、こうした非中立貨幣が演じる独特な作用を現代的な視点からさらに掘り下げるための試みである。ポスト・ケインジアンによる内生的貨幣供給理論と金融不安定性理論の展開は、ケインズ貨幣理論をアップツーデートにすることによって、現代の貨幣経済理論を再構築する試みに他ならない。                      [わたなべ よしお/明治大学教授]