Paris sera toujours Paris!

中川辰洋

東京の街中でチャリンコに3日も跨がれば、交通ルールなんぞ守る必要がないとみなが承知する。かたや歩行者はといえば、聖域であるはずの歩道をわが物顔で疾走するチャリンコに遠慮しいしい歩くことを強いられる。本末顚倒、じつに出鱈目な話だが、これが官許の現実だ。

自転車専用道つまり輪道発祥の地の一つオランダをはじめヨーロッパ諸国では、歩行者、サイクリスト、カードライバーが互に棲み分けている。だから、四輪車が二輪車の領分をたとえ1ミリでも侵そうものなら、それこそ猛烈な勢いで叱責されるのが落ち。アムステルダムでそんな光景を何度も目にした。いまではヨーロッパの多くの都市で輪道が生活の一部になっている。しかも近年、公営レンタル自転車のペダルを踏む人たちが増えている。高級車を転がしガソリンならぬCO2をそこら中にまき散らす環境にアンフレンドリーなドライバーが肩身の狭い思いをする社会になりつつあるからだ。

コロナショックと都市封鎖はそうした動きを一夜にして加速した。例えばフランスでは、この春来パリ市民の約1割に相当する20万人が地方に流出、自動車の交通量が激減、代わってサイクリストが急増した。本年6月の地方選挙で再選を果たしたパリ市長アンヌ・イダルゴは、ここぞとばかりに、持論のパリ市大改造、その一環としての「未来の交通手段」自転車の利用促進──具体的にはレンタル自転車網の拡充やサービス向上、さらに国内ですでに千キロメートルに及ぶ自転車専用道の延長を決定した。これらはパリ市と連携した中央政府の〝大パリ(Le Grand Paris)〟構想と連動しているのだが。

パリ市ならずとも、大都市の環境保護や排ガス規制は喫緊かつ最重要の政策課題であり、その実現のために自動車の交通量抑制と排ガスの削減、公共交通網の建設抑制を進めてきた。幸いにも、コロナショックと都市封鎖による在宅勤務にあわせた生活スタイルの変化が進みつつある現在、従前の政策を加速する追い風が吹いている。とくに慢性金欠症のパリ市にとって、例えば輪道100キロの建設費が約一億ユーロと、RATP(パリ市交通営団)の地下鉄のそれの2パーセント弱で賄えることは魅力だ。

だからといって、パリ市にとっていいことばかりではない。一つはコロナショックによる人口流出とその結果として街並みを一変させた賃貸オフィス・事業所の需要減──いわゆる〝空き家〟現象であり、これにパリジァンの郊外転出による住宅・アパルトマンの(Airbnbを利用した)レンタルハウス化を加えることができよう。

いま一つは、国際会議の開催や観光目的の旅行者の減少が宿泊施設・商業施設、零細カフェ・ブラッスリーをふくむ飲食施設の利用を妨げ廃業や営業休止に追い込んでいることである。なるほど、パリ市は年間約2千万人が訪れるバンコクにつぐ世界第2位の観光都市であるが、この間すでに観光事業を制限してきた。旅行者が落とすカネの多少もさることながら、陸海空輸送や市内観光の輸送機器が吐き出すCO2に配慮する必要があるからだ。

英経済紙『フィナンシャル・タイムズ』のライター、サイモン・クーパーの懸念するように、“Zoom”経済の快進撃や観光事業の制限によって進行するパリの収縮がこの先も継続するのかどうか、つまりパリはこのままでは人びとから見捨てられてしまうのか。そうであれば、第一、パリ市大改造は絵空事ではないのか。コロナショックがパリ市の容貌を変えたのは事実、だがそれは数年来この都市を襲ったさまざまのショックのといってよい。一連のテロ事件、〝ジレジョンヌ(黄色いベスト)〟運動、摂氏40度を超える熱波、1968年以来の大規模かつ長期の交通スト、それにノートルダム大聖堂の火災が、それだ。

いまわれわれの目の前にあるパリは一九世紀後半にオスマン男爵が建設した都市で、対するパリ市長をはじめとする市民、とくに次世代の若者はオスマンとは違った構想でこの都市の再生を目指している。それは恐らく、われわれの知っている人びと、場所そして習慣を失わせることになるだろう。だとしても、それがなんだというのか。シャンゼリゼ通りで歩行者、二輪車、四輪車が共存する未来のパリは、東京とは天と地ほどの差があろう。

往年の人気俳優モーリス・シュヴァリエは1939年、軍靴の音が轟く暗い世相を跳ね返すように歌った。〝パリはいつだってパリ/世界で最も美しい街/深く、濃い闇に包み込まれようとも/この街の輝きが消えることはない〟

[なかがわ たつひろ/青山学院大学教授]