「ニューディール」再考その⑤

西川 純子

公聴会
財政の拡大政策が効いたのか、一九三九年になって経済指数は改善しはじめた。十二月には臨時全国経済委員会(TNEC)の公聴会が開始された。
TNECの委員には立法府と行政府から六人ずつ、計十二人が任命された。行政府側の委員には労働省を代表してルービンが加わっていた。大統領が委員会に与えたテーマは、「経済力の集中と金融支配が生産および分配に及ぼす影響について調査・研究を行うこと」であった。委員会の運営を取り仕切る事務局長には大統領の指名によってヘンダーソンが就任した。
経済の保障
公聴会では冒頭に三つの基調報告が行われた。最初に登場したのはルービンである。ルービンはアメリカ経済がニューディールのもとで回復軌道に乗りながらも、なお回復しきれないでいる理由を雇用と賃金の乖離に求めた。たとえ完全雇用が実現しても賃金が増えなければ、消費を刺激して生産を回復させることはできない。国民があまねく豊かな生活を送ることができるよう、政府は富の平等な分配をめざして「経済の保障」の制度を作るべきであるというのが、彼の主張であった。
ついで登場したのは商務省で経済顧問をつとめるウィラード・ソープである。彼は二〇年代から三〇年代にかけてアメリカの産業構造がいかに変化したかを克明に辿りながら、二〇年代の繁栄を支えた独占的な大企業が三〇年代の不況においてもなおその位置を維持し続けていることを指摘した。
住宅産業
三番目に登場したヘンダーソンはこれを受けて、不況が長引く最大の責任は独占的大企業にあるとした。完全雇用を実現したければ独占的企業の「価格リーダーシップ」に制限を加えるべきなのである。「価格リーダーシップ」は、ミーンズの言う「価格管理」と同じく、大企業が独占力を活かして価格の決定に影響を及ぼすことを意味する。価格を思うように動かすことができるなら、企業がリスクをとって設備投資を行う必要はないのである。
では企業はどこに投資先を求めたらよいのだろうか。ヘンダーソンはそれを明示するのが政府の役割だと考える。彼は「経済の保障」というルービンの言葉を引き取って、企業の投資が国民の暮らしを豊かにする具体例として住宅の建設を示唆した。
一九三九年に入ってからはケインジアンも証人として登場した。ハーヴァード大学のA・ハンセンは、有望な投資先として住宅の建設を推奨したが、これに固執したわけではない。有望であれば業種は特に問わないのである。彼の関心が所得の配分よりは総所得の拡大にあったことは明らかである。
これに対して、同じくケインズの言葉を使いながら、カリーは住宅産業に特別な意味をもたせていた。彼は一九三七年の投資が一九二九年に比して最も落ち込んでいるのは住宅関連投資であると指摘し、完全雇用を目指すなら政府資金はまずここに注入されるべきであると主張したのである。
国防諮問委員会
ヘンダーソンは長々とTNECの議論を続けるつもりはなかった。一時も早く議論をまとめてニューディール政策の決定版を立法化したい、銀行法も公益事業持株会社法もそうして作ったではないか、というのが彼の本音であった。しかし、その目論見は一九四〇年五月、大統領が彼を国防諮問委員会(NDAC)の委員に任命したことによって潰えてしまう。
大統領の選挙と戦争が迫っていた。ローズヴェルトは三選に出馬するとも戦争をはじめるとも言わなかったが、準備は進めていた。NDACが設立されたのは、ヨーロッパでヒットラーがオランダとベルギーに攻め入り、フランスを陥落させた直後である。大統領はとりあえずNDACを設置して、兵器の生産体制を整えようとした。
NDACは実業界から三人、金融界と労働界と消費者連合から各一人、これにヘンダーソンが加わって七名の構成であった。ヘンダーソンは不倶戴天の独占的大企業と同じ目的のために共同することになったのである。彼がこれを断らなかったのは、戦争は一時のこと、終わればまたニューディールが必要になると信じていたからである。
同じことはカリーについても言える。彼はローズヴェルトに請われて三九年に連邦準備局からホワイトハウスに移っていた。新しい任務はイギリスとの間で武器供与の条件をまとめることであった。イギリス側の交渉相手はケインズであった。カリーもまた戦争が終わるまでと思い定めて、馴れぬ外交交渉に当たったのである。
[にしかわ じゅんこ/獨協大学名誉教授