経済思想史研究者が学長を経験して

田村 信一

私はこの三月末、日本経済評論社から『ドイツ歴史学派の研究』を刊行する機会に恵まれた。その内容は、こつこつと行われてきた研究のささやかな集大成となっている。私はこの三月で、勤務する札幌の北星学園大学の学長を退任し、同時に退職することにしたので、この機会に、恩師や研究仲間に感謝の気持ちを伝えたかったこともあり、長文の「あとがきに代えて」を付した。関係者の皆様には改めて御礼申し上げたい。
私は、大学助手の時に学位論文を執筆して以来、ドイツ歴史学派の研究をライフワークとして、ひたすら原典を読み解く作業を進めてきた。私の職場は地方にある中規模な人文・社会系大学であるが、むしろ自分の研究を地道に行うには適したところであった。大学問題を語るとき、どうしても大都市の有名大学が取り上げられ、地方の小規模大学は少子化による学生募集の困難と存立の危機という観点だけがクローズアップされがちである。たしかにそれはそれで充分理由のあることであるが、私の実感から言えば、地方の中小規模の私大はまじめで優秀な学生を地域社会に送り出しており、それが日本社会の安全と安定を支えていること、また若い研究者を育て、学問研究のいわばセーフティネットの役割を果たしていることも事実である。
さて、私がそもそもドイツ歴史学派研究を志したのは、文献を直接読んだときにそれまで抱いていたイメージと全く異なって、新鮮に感じたからである。それは現代の日本と一九世紀のドイツが地続きにつながっていることを意識した瞬間でもある。それまでのドイツ経済思想史研究では、ドイツ歴史学派に対する否定的な評価から、もっぱらリスト、マルクスとマルクス主義、ヴェーバーなどの個別研究に偏よっていた。「社会政策Sozialpolitik」という言葉が、ドイツの古き良き秩序を再建したいとする保守派から提出された用語だったこともあり、歴史学派の活動舞台となった「ドイツ社会政策学会」(一八七二年設立)に対して厳しい評価が行われていた。その結果、ドイツの社会政策学はもっぱら労使関係の観点から考察されることになったため、この学会が、労働者への団結権の付与・労働時間立法の制定以外にも、住宅問題の解決を共通の目標とされていたことが見落とされてしまった。
それ以上に重要なことは、社会政策学会を主導した理念が無視されたことである。設立メンバーの一人グスタフ・シュモラーは、経済的没落や困窮を「自己責任」とする見解に対して、「われわれの理想は、わが国民のさらに大なる部分を、文化のもたらすあらゆる高度な財・教育・福祉に分かちあずからせること以外のなにものでもありません」と述べ、国民全体に近代的経済がもたらす成果を「均霑」すべきことを強調していた。経済的格差の解消と社会政策の展開は、近代国家存立の正当性を担保するものだった。社会政策の主張は、のちに産業界から「産業負担」と攻撃されるが、ドイツの社会政策は今日の福祉国家の原点の一つであり、シュモラーの見解はのちのナショナルミニマム論の先駆ではないだろうか。
ひるがえって日本の社会政策を考えると、そもそも住宅問題を社会政策と考える発想に極めて乏しい。近年、日本各地で高齢者が入居する施設の火災が相次ぎ、札幌でも今年一月に自立支援施設の火災によって一一人が死去する悲惨な事故が起きている。こうした施設の運営は行政の対象外であり、完全に民間ボランティアにゆだねられている。わが国では、社会政策は基本的にはいまだ「産業負担」であり、経済格差は「自己責任」の結果とされているのである。今年は明治維新一五〇年を迎える年であるが、様々なレベルで「富国強兵・殖産興業」の発想が続いており、もうそろそろ根本的な転換が必要ではないだろうか。
私は学長の職務を経験し、日本の大学のありように不安を感じていたが、その最大の問題点は、人文・社会系の基礎的学問研究の軽視である。もはやかつてのような高度経済成長が望めない今日では、ドイツ社会政策学会のように、歴史から学び、政策転換を訴える人文・社会系の知こそが必要であり、そうした学問研究に依拠した開かれた行政が求められるのではないだろうか。
[たむら しんいち/北星学園大学名誉教授]