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「講座派」や「戦後歴史学」の枠におさまらない魅力──『中村政則の歴史学』の編集に携わって    

大門 正克

中村政則さんは、一九八三年に、下の世代から、「中村さんは最後の講座派だ」と言われることがあると書いている(「講座派理論と我々の時代」中村『日本近代と民衆』校倉書房、一九八四年所収)。この評価ゆえか、中村さんには、ある時期から、「最後の講座派」という言い方がついてまわるようになったが、同時代の中村さんには多くの人を惹きつける魅力があった。
中村さんの学問には、「講座派」や「戦後歴史学」の枠におさまらない魅力があった。その魅力のひとつに研究方法と結びついた叙述がある。中村さんの作品には、読者をぐいぐいと引き込む力のあるものが少なくなかった。「現代民主主義と歴史学」(一九七一年)や「服部之総と近代天皇制論」(一九七二年、いずれも前掲『日本近代と民衆』所収)、『労働者と農民』(小学館、一九七六年)などが代表例である。
このなかで中村さんは、『労働者と農民』について興味深い述懐をしている(中村「小学館ライブラリー版の刊行にあたって」『労働者と農民』小学館、一九九八年)。「なかなか構想がまとまらず」、「思案にくれ」ていた中村さんは、一〇数年にわたり蓄積してきた「聞き書きを多用してみよう」と思い立った。中村さんの手元には、取材ノートや録音テープが一〇〇本以上残っていた。聞き書きを用いた「歴史叙述」は、「ひとつの実験的試みになるという予感」もあり、取り組んだところ、「筆はぐんぐん伸び」、「興奮状態」のなかで執筆した。「筆がぐんぐん伸びていった」ことをめぐり、中村さんはこの述懐で大変に興味深い指摘をしている。やや長くなるが引用してみたい。
「私は執筆の過程で自分の歴史認識や歴史叙述の方法が、それまでの自分の方法と違ってきていることに気づきはじめていた。材料が方法を規定し始め、方法が材料の扱い方を規定し始めたのである。簡単にいうと、聞き書きを多用したことによって、民衆を描くにしても、一人ひとりの個性をおろそかにせず、他方でその民衆的個性を歴史全体の動きの中に置き直してみることに意をもちいた」。
筆がぐんぐん伸びたのは、聞き書きという「材料が方法(歴史叙述の方法──引用者注)を規定し始め、方法が材料の扱い方を規定し始めた」ことを中村さんが自覚したからだった。中村さんは材料(聞き書き)と歴史叙述の方法の相互規定的関係を追究するなかで、民衆「一人ひとりの個性をおろそかにせず、他方でその民衆的個性を歴史全体の動きの中に置き直」すことに注力して本書を執筆した。相互規定的関係の追究は、中村さんの重要な研究方法である。『労働者と農民』では、聞き書きを用いる実験的試みが叙述の方法を刺激し、民衆的個性と歴史全体の動きの相互関係の追究が叙述全体に推進力を与えている。『労働者と農民』には、研究方法と叙述が一体になって読者を引き込む魅力があるといっていいだろう。
歴史学では叙述があらためて問われており、海外での日本史研究でも、アンドルー・ゴードンのように叙述に配慮した研究者が少なくないときに、研究方法と叙述が一体になった「中村政則の歴史学」は、あらためて広い視野から検討されてもいいのではないか。
二〇一五年八月五日に七九歳で生涯を終えたのちに、中村さんの学問をあらためて振り返るために、浅井良夫、吉川容、永江雅和、森武麿と私の五人で編集委員会をつくり、『中村政則の歴史学』をまとめる作業を続け、二〇一八年夏にようやく刊行の運びとなった。
この本は、中村さんを回顧したり顕彰したりすることを目的とするものではなく、一九六〇年代後半から二〇〇〇年代にまで及ぶ「中村政則の歴史学」を歴史(時代)に位置づけることで、あらためてその学問の意味を考えることを目的としている。
そのために、本書を五つの部で構成し、第一部には、「「中村政則の歴史学」の生涯を振り返る」と題して、大門の報告と、浅井良夫を司会として、石井寛治、伊藤正直、吉川容、宮地正人、森武麿に大門が加わった座談会を配置し、第二部は、「「中村政則の歴史学」を歴史に位置づける」として、地主制史論(森武麿)、天皇制論(安田常雄)、民衆史論(市原博)、日本帝国主義史論(柳沢遊)、戦後史(永江雅和)の五つのテーマを議論していただいた。
第三部では、「中村政則の研究活動の場をたどる」として、産業革命史研究会(高村直助)、歴史学研究会(保立道久)、自治体史編さん(荒川章二)、欧米の日本史研究との接点(ハーバート・ビックス)、日韓歴史交流(金容徳)の五つの場と中村さんのかかわりを論じていただいた。
第四部は、「「中村政則の歴史学」を読む」として、中村さんの主要な著作を選び、それぞれ二人の方に批評していただいた。二人のうちの一人は中村さんの著作を同時代に読んだ世代の方、もう一人はのちになって読んだ若手の世代であり、『日本地主制の構成と段階』/『近代日本地主制史研究』(加瀬和俊、坂口正彦)、『労働者と農民』(春日豊、細谷亨)、『昭和の恐慌』(武田晴人、小島庸平)、『日本近代と民衆』(立松潔、戸邉秀明)をそれぞれの方々に批評していただいた。
最後の第五部には、研究業績一覧などを配した。
本書の論文や批評、座談などを通読すると、「中村政則の歴史学」の特徴が時代とのかかわりで浮き彫りになってくる。本書を契機に、多くの人びとがあらためて中村さんの作品にふれ、「中村政則の歴史学」を論じる機運が出てくることを念願している。
[おおかど まさかつ/横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授]