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決済とは?──ユーロ、人民元、アベノミクス

奥田 宏司

「決済とは?」、このようなテーマは敬遠されてしまうでしょう。しかし、副題のテーマなら少しは関心をもってもらえるのではと思います。これらの副題のテーマは決済、通貨に深く関連していることを実は強調したいのです。
私事で恐縮ですが、私は2000年9月末から半年間、ロンドンに留学する機会を得ました。ユーロが登場して一年半ほどが経過したときでした。当時はブレア首相のもと遅れてユーロに参加する可能性がありました。イングランド銀行もそのことを想定してユーロについての調査研究を公表していました。私は留学生活に慣れてきた11月ごろからそれらの調査資料を集めました。
ユーロについては内外において当時たくさんの研究書、論文が出ていましたが、何か欠落しているという読後感が私にはありました。「最適通貨圏」の論議や統合の基準としての財政規律とかインフレ率の収斂などが論じられていましたが、決済についての言及がほとんどなかったからです。通貨統合前にはユーロ参加国は外国為替を用い、銀行のコルレス関係、本支店を通じて決済を行なっていたのが、統合によってその決済がどのように変わったのか、このことが問われていないのです。
私はロンドンという地を利用して、イングランド銀行とECB(ヨーロッパ中央銀行)の資料を材料にユーロの統一的決済制度(TARGET)の研究を始めました。まず、驚いたことにイギリスはユーロに参加していないにもかかわらず限定条件が付いてはいるが、ユーロの統一決済制度に参加しているということでした。このことは日本ではほとんど論じられていませんでした。研究を進めていくとさらに何か釈然としない疑問が湧いてきました。
ユーロ各国の銀行間決済は理解できるようになったのですが、ユーロ各国間の赤字・黒字の決済は最後にはどうなるのか、外貨準備は不必要なのかという疑問でした。しばらくすると、ユーロ各国の赤字・黒字は中央銀行間相互の債権・債務というかたちになり、それはTARGET Balancesにならざるをえないことが理論的にわかってきました。しかし、イングランド銀行もECBもTARGET Balancesに言及しないのです。これではギリシャ危機などの事態が将来生じる可能性を明らかにできません。
ユーロの現状を知るには決済とTARGET Balancesの形成を論じなければならないのです。私はロンドン滞在中にそのことを論文にまとめ、拙書『ドル体制とユーロ、円』(日本経済評論社、2002年)に収めました。
ギリシャ危機においては、ECB、IMFがギリシャに厳しい緊縮政策を押し付け、ギリシャ国内外でユーロ離脱に賛成するポピュリズム的な言説が広まりましたが、それらの議論にはTARGET Balances、「最後の貸手機能」についての認識が乏しかったものと考えています。ギリシャ危機後のユーロ体制については、近著『国際通貨体制の動向』(日本経済評論社)で論じています。
人民元の「国際化」についても、人民元の決済の理解が必要です。中国のGDPが日本を追い抜き、世界の貿易でも大きな地歩をもつようになってきたこと等を背景に人民元の国際化、国際通貨化の議論が起こりました。しかし、中国当局は、外国の銀行が国内の銀行に一覧払預金口座を設定すること、残高の振替、残高補充の完全な自由を与えていません。したがって、ドル、ユーロ、円の決済のように人民元の決済ができないのです。そのような通貨は国際通貨になりえません。人民元決済を行なえるように香港等に特別のクリアリング・バンクを設立させるのもそれが原因です。日本等では人民元の決済がきわめてむずかしいのです。上記の近著『国際通貨体制の動向』でそのことを強調しました。
アベノミクスの第一の矢についても、巷間では日本銀行が多額の銀行券を印刷して市中に流し、これによって物価が上昇し、円安・株価がもたらされ景気がよくなるという言説が流布されています。国内決済がどのように行なわれるのか、通貨とはどのようなものかという理解が必須です。つまり、現金、預金通貨、日本銀行を利用した銀行間決済、マネタリー・ベース、マネーストックという概念も理解されないと評価が難しいのです(このことも上の近著で論じています)。
以上のように、ユーロの実態、人民元の現況、アベノミクスの可否を検討するには、決済についての基礎理解が必要で、このことをおろそかにした議論は混乱をもたらすでしょう。
[おくだ ひろし/立命館大学特任教授]