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  • PR誌『評論』208号:『シリーズ家族研究の最前線② 出会いと結婚(仮題)』を編んで

『シリーズ家族研究の最前線② 出会いと結婚(仮題)』を編んで

平井 晶子

山田昌弘の『結婚の社会学──未婚化・晩婚化はつづくのか』(丸善ライブラリー、1996年)が出版されて20年、未婚化・晩婚化はとどまることなく続いている。未婚化・晩婚化だけでなく、この20年、結婚の「はじまり」における変化も著しい。たとえば、今では懐かしい上司が仲人をする昭和な結婚式(親族・会社中心の結婚式)が急激に少なくなり、仲人なしの友人を中心とする結婚式が増えてきたのも90年代、結婚記念日が「式」から「入籍日」へと移ってきたのも90年代ではないだろうか。結婚を象徴するものが、社会的承認の場である「披露宴」から、個人的な法的手続きの「入籍」へと変化してきたことになる。
こう書くと、この20年、結婚は大きく変わった印象を与える。しかし、すべてが変わったわけではない。結婚相手に求めるもの(女性は男性に仕事を、男性は女性にかわいさを)、離婚はイヤ!という離婚忌避意識の高さはそのままである。もちろん「家事は女性がすべき」「女性は外で働くべきではない」といった極端な性別役割分業意識は過去の遺物である。が、優先順位や重要度でみると、男性=仕事、女性=家事・育児という点に変化はなく、それにふさわしい相手を望む傾向は続いている。
社会は大きく変わった。結婚にも変化は生じている。にもかかわらず、なぜ、結婚相手に求めるものは変わらないのか、結婚が「永遠に」続くことを期待せずにはいられないのか、この古くて新しい問題を考えるために本書『出会いと結婚(仮題)』が編まれた。
本書は、比較家族史学会が監修する『シリーズ家族研究の最前線』の第二弾である(第一弾は昨年出版された『家と共同性』(加藤彰彦・戸石七生・林研三編)、第三弾は『子どもと教育(仮題)』(小山静子・小玉亮子編)を予定している)。
比較家族史学会は、その名の通り、学際的に家族を問うことを企図して設立された学会である。いつの時代、いずれの社会でも存在する家族なるものを真ん中に、法学、法制史学、歴史学、社会学、民俗学、民族学、経済史、人口学、教育史など家族に関心があるさまざまな分野の研究者が参集し、議論する。いろいろな時代、いろいろなアプローチを取る専門家が集まることで、専門学会では得られない「時代や空間の制約から解放された場」が設定されてきた。
これまでも学会監修の『シリーズ家族史』(三省堂)や『シリーズ比較家族』(早稲田大学出版会)が編集され、『生者と死者──祖先祭祀』(石川利夫・藤井正雄・森岡清美編、三省堂、1988年)、『扶養と相続』(奥山恭子・田中真砂子・義江明子編、早稲田大学出版部、1998年)、『名前と社会──名づけの家族史』(上野和男・森謙二編、 早稲田大学出版部、1999年)など多岐にわたるテーマが論じられてきた。昨年から始まった最新シリーズは「より現代的」課題を取り上げる意図で「家族研究の最前線」と名づけられた。
このような家族を中心に据えた学会であるにもかかわらず、これまで「出会い」が中心テーマとなることはなかった。その他の学際的議論をみても、「制度としての結婚」や「結婚生活の実情」に関する比較研究、歴史研究はあるものの、「出会い」に焦点をあてたものは意外に少ない。少し前まで「ほぼ皆婚」であったことや「見合いから恋愛へ」という図式で「わかった」気になっていたからかもしれない。
しかし、「出会い」は思った以上に複雑な問題であった。「見合いから結婚へ」に関しても、実は、「恋愛から見合い」に移り、その後「見合いから恋愛へ」と二段階の変化が起きていた。
ほかにも、アジア諸国との比較から日本を眺めたり、フランスの事実婚と法律婚のちがいからカップルであること、カップルになることの意味を問うたり、近年急速に増えてきたイタリアの事実婚の背景を探るなど、「今の日本」をとらえるさまざまな鏡を取り揃えた。さまざまではあるが、いずれも「研究の最前線」であり、出会いを繙くための見取り図に仕上がってのではないかと自負しているところである。
[ひらい しょうこ/神戸大学准教授 ]