神保町の交差点

表題「神保町の交差点」の意味。お気づきとは思いますが、「交差点」の真ん中に立って、どちらに進むか戸惑っている姿です。これから社を去ってゆくのはベテラン達、この会社を支えてきてくれた屋台骨です。新しい社員も入ってきたが、代わって柱になれるのか、もしかしたら皆も「交差点」の真ん中に立っている心境かもしれません。
●200号の小誌に、大妻女子大学教授、元東京大学教授の伊藤正直先生が、こう御寄稿して下さった。冒頭に「社長は志を語るな、志は社員が語ればいい。社員が安心して仕事ができるようにすることが第一だ」と。昨年の政治経済学・経済史学会でごあいさつしたとき、同じお話をしてもらいました。編集者が笑みを浮かべながら著者の方々と付き合っているか、日本経済評論社で本を出したいと思ってくれているか。編集者が出したい本、必要とされる本を出していけるか、会社を続けていく意味を考えるとき、伊藤正直先生の言葉が深く身にしみます。四方に散らばることなく「こっちに向かおう」とはっきり目印をたてるスタートの年となります。
●2016年11月末に、本の街・神保町の「専門書の専門店」、老舗の「岩波ブックセンター」信山社が、東京地裁から破産手続き開始の決定を受け閉店しました。奇しくも柴田信会長が急逝された翌月の出来事です。岩波書店の関連会社の運営で始まり、八一年に岩波ホールに隣接するあの場所で四十年弱あり続けました。2000年に、「信山社」が営業権を引き受け、岩波ブックセンター信山社に名称を改めています。柴田さん(大学卒業後、中学で教鞭をとられ1965年から書店員になられました。それ以来半世紀にわたって現場に立ち続け、神保町ブックフェスティバルを中心になって立ち上げた)と初めてお会いしたのは、07年頃です。小社が復刻資料から単行本に舵をきりはじめ書店営業を始めた頃でした。新刊案内のチラシを持っていったときに、開口一番「吟」の所かと言われたことを思い出します。歴史・文芸・政治・哲学・宗教・心理・人文・社会科学書を中心に充実した品揃えをされた棚を前に「専門書の専門店」についてお話ししてくれました。顔を出していくうちに片隅に本も並べてもらえるようになりました。神保町で「岩波」の看板を揚げ続け、「破産」と聞きながらも、岩波書店が助けるのではないか、きっと取次が援助してくれるよ、などなど根拠のない憶測が飛び交っていたが、結局誰も手をさしのべることはなかった。世界一の古書街で、同店は神保町の名所となっていたはずなのに、どうしてだ、と思うと悲しくなります。
●日版の『出版物販売額の実態』2016年度版の統計では、全国の書店数(大学生協・スタンド店は除く)ピークの半分以下、11,000店弱(ピークは88年の28,000店『白書出版産業2010』日本出版学会編著)になってしまった。そのうちチェーン店は2800店ほどと言われている。一般に大手チェーン店(紀伊国屋書店・丸善・ジュンク堂を含まず)に本を売り込むときは、その本部に赴き商談をする、一般書・児童書・文庫ら売れる本は得意としているが、売りにくい専門書は得意とはしていない。個別に各店舗に売り込みにも行くが、専門書を置いてもらえるその数は多くない。頑張っている個人店8000店(いわゆる街の本屋さん)こだわった品揃えを心がけ店作りをしていても、一部の書店を除いては、本を置き続けるには厳しい状況となってしまっている。ここに近年、さらなる問題が起きています。取次のチェーン店争奪戦の激化です。書店を傘下に置くことで確実な売り先を確保し、商品選択、品揃えができるようになる、取次の方々からは、そんな事はしていないと言われるが、棚を見てみるとそう感じてしまう。いずれにせよ、専門書版元にとっては厳しい状況は続いてゆくのです。
●2016暮れに掛けて、いくつか先代からの永いおつき合いの本を出版することができました。ひとつは、9月に刊行した松尾章一先生編著『歴史家服部之總』です。30数年、数えきれぬほどアナウンスをしてきましたが、ようやく成就しました。段ボール二箱にもなる手書きの原稿を一枚一枚執筆した頁をめくる、どう減らしていくか、先生のご努力もさることながら、「吟」も編集者、また初稿から再度見直しをしていただいた矢作享先生には感謝の言葉しかありません。心折れることなく集大成として一冊の本にすることができました。本当にお疲れ様でした。もうひとつは、今年3月、國學院大學を退任される上山和雄先生です。上山先生との始まりは、89年の『陣笠代議士の研究』になります。以降『帝都と軍隊』をはじめとする「首都圏史叢書」、05年に『北米における総合商社』。その後、「北米史料研究会」が発足され、13年にその成果として『戦前期北米の日本商社』を刊行しました。この本は、研究会の若手の先生方と小社を結びつけてくれた貴重な一冊でもあります。最後に先生ご自身が永く研究され、ライフワークと位置づけ『日本近代蚕糸業の展開』を出版できたことに感謝いたします。   (僅)